石の寺 教林坊

教林坊は、聖徳太子によって推古十三(605)年創建されたと伝わり、林に囲まれた地で教を説かれたことから「教林坊」と名づけられました。ご本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、困難な願いも二度参れば叶う「再度参りの観音」と信仰を集めてきました。
 また境内に広がる庭園は小堀遠州作と伝わり、苔むした巨石が連なる豪快な桃山時代の名勝庭園は、茅葺きの書院(江戸初期、市指定文化財)とあわせて、侘びさびの隠れ里の風情を醸し出しています。
 また晩秋には2000坪の境内で、約200本を超えるもみじの古木が真っ赤に染まり、周りをかこむ数千本の竹林とのコントラスとは拝観者を魅了します。毎年11月中旬から12月初旬にかけて紅葉ライトアップも開催されております。

石山寺

石山寺は、京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られています。秋には境内2000本以上の紅葉と本堂、多宝塔などの建造物を美しくアーティスティックにライトアップします。

比叡山延暦寺

延暦寺は、奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まりです。最澄が中国に留学して天台宗を開立してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、
その歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産にも登録された。
 戦国時代に織田信長(1534-82)によって、一山焼き討ちに遭いましたが、豊臣秀吉(1536-98)・徳川家康(1541-1616)の手によって復興された諸堂は、数多く国宝・重要文化財の指定を受けており、宝物類も目を見はる物ばかりです。バスなどを利用して、山上まで比較的簡単に参詣することができます。

三井寺(園城寺)

壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うため、皇子の大友与多王が天武15年(686年)に寺を建立したのが創始と伝えられている。天台寺門宗の総本山。園城寺の名称は天武天皇から与えられたといわれているが、一般には三井寺の名でよく知られている。境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになった。国宝の金堂を始め、西国第十四番札所の観音堂、釈迦堂、唐院など多くの堂舎が建ち並び、国宝・重要文化財は一〇〇余点を数える。

勧学院客殿・庭園 

勧学院は弘仁12年(821年)、藤原冬嗣によって創建され、三井寺の塔頭寺院のひとつです。客殿は国宝に指定され、狩野光信による華麗な障壁画が部屋を飾っています。また客殿の広縁の向こうに広がる池泉式(ちせんしき)庭園は、正面中央に造られた築山にヒノキ・杉の大木が植えられ、アセビ・ツツジ・サツキが植えられた山腹が高所へと続いています。建物に近い築山ともそれぞれ調和がとれ美しく、池は土橋が設けられ、護岸の石組みも趣があります。そのほか、池の中央に置かれた夜泊(よどまり)石も趣があり後に手が加えられた跡が多く残されていますが、趣向(しゅこう)を凝らしてあり、学問で疲れた目や心を癒すのにとても効果的な庭となっています。貴族社会の衰微とともに鎌倉時代には消滅したと言われているが、興福寺などの有力寺院が寺内に設けた僧侶育成機関に「勧学院」の名が用いられたのは、ここに由来していると言われている。国の名勝に指定。

光浄院客殿・庭園

光浄院は、三井寺山内塔頭寺院のひとつです。山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、 城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。客殿は国宝に指定され、安土・桃山時代の豪華な建築です。庭園は、小規模ながら奥行のある味わい深い構成は近江の代表的な庭園といわれています。国指定の名勝。 外観は、勧学院客殿とほぼ同じでありますが、 内部の部屋数や配列などに相違が見られ、 一之間の付書院が広縁に張り出すプランなどには、伝統的な形式の中に 新しい要素を取り入れたものとされています。一之間、二之間には、桃山時代における、書院の代表的建築として極めて貴重な狩野派による華麗な障壁画が残されています。

金剛輪寺

天台宗の寺院。本尊は湖東三山の1つに数えられる。また、源義経(みなもとのよしつね)が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれます。西面する総門を入ると左に愛荘町立歴史文化博物館があり、その奥に塔頭の常照庵がある。桃山時代に造られた庭は、「石楠(しゃくなげ)の庭」と呼ばれ、シャクナゲやツツジや名所としても知られている。また宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれています。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があります。厄除けのかぶら汁が接侍される初観音や、大きな数珠(じゅず)を回して念仏を唱える千体地蔵盆など有名な行事もあります。

西明寺

湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。本尊は薬師如来、開基は三修上人である平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。伝承によれば、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。総門から長い参道を歩いた先に増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)を祀る二天門(室町時代に建立され、重要文化財に指定)が建つ。二天門を入ると、正面に本堂(鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定)右手に三重塔が建つ。
 また、紅葉の名所としても有名ですが、不断桜があり、紅葉と桜を同時に見ることができます。

常楽寺

常楽寺はのどかで閑静な集落にあります。奈良時代中期に良弁(ろうべん)が開いた「阿星山五千坊(あぼしやまごせんぼう)」の中心であり、平安時代初期には長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が厚かったといいます。境内へ入ると、桧皮葺の風情ある本堂と、その後ろに悠 然とそびえる三重塔(共に国宝に指定されている威風堂々とした名建築)
山門に続く広い境内の木立の参道の奥に、国宝指定の和様の大きな本堂があり、中央には秘仏の木造千手観音坐像が安置されています。その 両脇にずらりと並ぶ二十八部衆立像はそれぞれ恐ろしい顔、穏やかな顔とその表情に目を奪われます。寺宝である仏涅槃図(ほとけねはんず)や源信(げんしん)が描いたといわれる浄土曼荼羅図(じょうどまんだらず)、良弁が愛用したと伝えられる錫杖(しゃくじょう)などは、いずれも国指定の重要文化財で、建造物・彫刻・絵画・工芸品と多彩な古文化財が多くあります。

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